2007年1月 3日 (水)

素浪人シリーズのこと つづき

年を越してしまった・・・(ーー;)今年もよろしくお願いします。

「素浪人 花山大吉」の旦那と半次の関係は、侍と旅がらすという身分の違いはあれど、かなり対等なもので、お互いを認めながらも罵り合う面白さは底抜けな明るさでした。時代劇というと、不幸な目にあっている人たちを主人公が救うというパターンが定番。ついつい暗くじめじめとした恨み節のストーリーが展開するものが多い中、底抜けに明るくポジティブなコミカルさで時にハートウォームな内容は他に類をみないものでした。

Tukisama2 大吉は第79話より南弘子演じるお咲を加え、レギュラー三人体勢へと変わります(お咲参加後の「素浪人 花山大吉」オープニングはこれ)。そして70年12月26日放送の104話まで続いて終了を迎えます。近衛の糖尿病の悪化の為です。焼津の半次と初めて出合ったころの若干ふくよかな兵庫は、6年後の大吉の最終回ではめっきり痩せてやつれてしまいます。

その後「素浪人シリーズ」は、近衛の病の癒えるのをまって、73年4月から9月まで放送された「素浪人 天下太平」で復活し、73年10月から74年3月までの「いただき勘兵衛旅を行く」まで続いて終了を迎えます。どちらも、品川隆二氏の登場は無く、「天下太平」での相手役は佐々木剛と加茂さくら、「いただき勘兵衛」では実子目黒祐樹と江夏夕子、吉田義夫です。その関係は対等といった感じではなく、若者たちと親爺といった構図になっていると聞いております。

もちろん近衛十四郎の魅力前提でのお話ですが、小生は「素浪人シリーズ」のおもしろさは、実は品川隆二さんの焼津の半次の快演に負うところがかなり大きいと思っております。この辺どうなのか?「太平」をよく知る方々の間では「近衛の父性的な優しさがにじみ出る『太平』にはまた違った魅力がある」といわれております。見てみたいものです。

そう、実は私、きちんと記憶しているのは「大吉」のお咲登場前のあたりのみなのです。「兵庫」もおぼろげな記憶はあるがはっきりしていない。

と、いうのは、なかなか再放送されないのです。兵庫と半次、大吉と半次の罵り合いには「放送禁止用語がいっぱい」なためではないか?などと、いろいろ推測されてきました。それでも、幻の名作番組といわれつつも、「大吉」の方は、数回は再放送が行われました。その大部分がカラーで作られているため、「兵庫」よりは放送しやすいのでしょう。

Kurimukihyougo ところが此処に来て、東映チャンネルにて、「天下太平」の再放送が行われ、続いて「花山大吉」の全話が放送されました。なんだか風が吹き出したような気配を感じた昨年でした。

そしていよいよ今年!じゅうよっつ様主宰の魅せる剣戟スター近衛十四郎のサイトの掲示板によると、いよいよ2007年3月より、「素浪人 月影兵庫」の放送が行われると発表されたとの一報が届いております。やったー!!急いで東映チャンネル入らないと(<オイ(^_^;)

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2006年12月 3日 (日)

素浪人シリーズのこと

その世代の人なら誰でも知ってる「素浪人シリーズ」ここら辺でちょいとまとめを・・・。ちなみに、近衛十四郎と素浪人シリーズについて一番詳しいのは、ここ

「素浪人シリーズ」は近衛十四郎(いまさら言うまでもないけど、松方弘樹と目黒祐樹のお父さんだ!日本一殺陣の上手い時代劇役者の一人である)主演のTV時代劇。全部で四作品。

Tukikagedaiiti 最初は、1965年10月から1966年4月の第一シーズン、1967年1月から1968年12月の第二シーズンの二回に分かれて放送された「素浪人月影兵庫」。

原作は南條範夫。若い頃の勝新太郎が映画でやっていますし、かなり最近では村上弘明がTVシリーズでやってました。原作の月影兵庫はちゃんとした二枚目、相棒も比較的まともなひとでした。

ところが近衛の「素浪人」月影兵庫は「柄の悪いおっさん」。そして、相棒の渡世人に、原作に無い、曲がったことが大嫌い(よく見ると長脇差まで無反りなんですな、これが)な風来坊の旅烏「焼津の半次」が設定されます。Monokurohannji_2 半次を演じるのは品川隆二。最初の頃はまだあまりはっきりしていない二人の関係は、第一シリーズ中に徐々に、寄ると触ると喧嘩してののしりあうコミカルな雰囲気が際立ってきます。

Dainihyougo_1 さて、好評のうちに第一シリーズは幕を閉じ、第二シリーズがはじまります。

第二シリーズの兵庫は、第一の横わけ風の髪型から、普通に月代が伸びたいわゆる「ムシリ」の鬘に形が変わります。そして背中に「月」胸に「花」「雪」の文字が入った衣装に変わります。

でも、衣装よりもなによりも、「兵庫は猫恐怖症で、半次は蜘蛛恐怖症」という設定が新しく付け加わり、よりコミカルな路線が強調されます。

視聴率はうなぎのぼりだったのですが、原作とはどんどん乖離していくことになります。おそらくそのためであろうと思われますが、月影兵庫は130話で一旦幕を閉じます。天涯孤独の素浪人だと思われていた兵庫は、どこぞの御落胤だったらしく、父親が無くなったと伝えに来た家来と共に、後を追う半次を振り向きもせずに去っていきます。

Hana_5 「え?」っと、突然の終了に呆然とする視聴者は、翌週から「素浪人 花山大吉」が始まることを知らされます。

素浪人シリーズ第二段の「素浪人 花山大吉」は1969年1月から1970年12月まで全104話。14話目からはカラー放送となります。

Danna_1   嬉しいことに「焼津の半次」は続投です。兵庫と別れてがっくりきている半次にいさんは、別れた筈の兵庫が街道を歩いて来るのを見てビックリ。

大吉は、兵庫よりは上品で猫にも平気。ところが、緊張するとシャックリが止まらなくなる持病が・・・シャックリは腰の瓢箪から酒を飲まないと止まらない。そして「おから」が大好きで、おからをつまみに飲みだすと、酔えば酔うほどどんどんガラが悪くなっていくのであった。

Konookarayarou_1 ・・・この項つづく

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2006年11月26日 (日)

螺旋亭のカウンタ

Usiro_1 最近久々に螺旋亭のカウンタがにぎわっております。ここのところ少々寂しくなっていたので嬉しい限りです。

こちらも一応アースディースを着席させております。…が、あまりしゃべるキャラではないので、ちょっと傍観気味になってますな。まぁ、ミントでもいれば結構賑やかな展開も考えられるのですが、現在彼女は湖底遺跡で走り回っておりますのでちょっと残念(^_^;

イラストは剣帯をちゃんと描こうという趣旨でおこしました。深い意味は無いです<(_ _)>。

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2006年8月17日 (木)

「にがしませんよ。」_ハウルの動く城

Sarimann 遅ればせながら「ハウルの動く城」を見た。いろいろと評価の分かれている作品だが、結論から言うと、最近の宮崎監督の作品のなかでは一番気に入った。

以下、あくまでも私見であること前提で的外れかもしれない感想を書き綴ってみる。

最近の諸作品の中で特に感じていたのは、クライマックスから終盤について。宮崎駿氏は東映動画時代からの根っからのアニメーション作家であり、彼にとってアニメーションは単なる「手段」ではありえないのだなぁ・・・ということ。つまり冒頭から前半、そこから中盤にかけての「問題性」や「テーマ」の提示が行われ、それが明確化される。当然視聴者は、以降終盤に向けてその問題の「解決の提示」が行われることを期待していく。しかし、アニメーション作家である宮崎駿氏にとって、中盤からクライマックス、終盤にかけて「アニメーション作品としての動画的なカタルシスの成立」が重要命題となってのしかかってくる。この両者のバランスをどこでとって、どこにおちつかせるか。いや、どうやって両立させるか、が「あまり上手くいっていない」のが最近の諸作品の問題点なのではないだろうか。

もしかして、僕たち客が勝手に勘違いしてるだけで、宮崎監督にとって、作品テーマ的なものは、もっと単なる「マクガフィン」に近い位置づけなのかもしれない(^_^;。個人的に、テーマ性が低い作品の方が作品としてまとまっているように思ってしまうのである。間違った認識だろうか?

「ハウルの動く城」では、「戦争」や「魂の喪失」といった、通常もっと深く突っ込まれそうな命題は結構あっさりと処理されている。非常に「マクガフィン」的である。そしてこれはこの作品において、正しい選択だと思う。

さて、次は、宮崎ヒロインの件。宮崎ヒロインを指して女の子達が言うのである。「こんな女の子おれへんて!」と、いうわけで、「宮崎監督は女性が描けない」と烙印を押されちゃってた雰囲気があったわけだが、そんなことはない!今回のソフィーに関してはあんまりそんな声は聞こえてこないと思う。逆にハウルを指差して男どもが言うわけだ、「そんな男はいないっつーのっ!」(爆)。

と、いうことは、今回の「ハウルの動く城」は、「未来少年コナン」や「ルパン三世カリオストロの城」「天空の城ラピュタ」などでおなじみの宮崎的ヒーロー、ヒロイン像を逆転させて構成されているのではなかろうか、と思う。で、簡単に逆転させて見せられるということは、今までの、存在し得ないようなヒロインは「確信犯」なんですね。あたりまえだ。過小評価しすぎだって(^_^;。

最後に、今回よく問題になった「声優」の件。曰く、「ちゃんとそのために訓練している『声優』という存在がいるのに、素人の有名人を起用するのはおかしい。失敗している。話題つくりだけではないのか?」などという意見が耳に入ってくる。

笑止である。もともとアニメーションの吹き替えは予算の関係や、顔が表に出ないことやらで、トップクラスの俳優を使うことが出来ないため、そうでない俳優を使って吹き替えたのがはじめなわけだ。アニメがメジャーなものになると共に「声優」という言われ方をするようになっていったが、いわれる方としては、結構屈辱的な受け取り方が出来なくも無い呼び方のはずである。

と、いうことで、「ジブリや、アニメもステイタスがあがったために、トップクラスの演技者を吹き替えで使えるようになった。」という見方のほうがが正解なのだと思う。その人達がアニメ吹き替えの「御約束」的な演技をしないからといって、糾弾するにはあたらない。・・・というか、そういう演技をしてもらいたくないから起用してるんだよね。

今回、ハウルもソフィーも正解だったと思う。でも、一番ピッタシなのは加藤治子さんのサリマンだよ。全く話題にならないのが残念!

「・・・逃がしませんよ。」(ああ!この台詞!加藤治子じゃなきゃ駄目!)っと、手を叩いたのってワシだけ?(*_*;

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2006年7月22日 (土)

ジョン・ウェインのルースター・コグバーン

Rusuta 眼帯つながりで「勇気ある追跡」のルースター(雄鶏)・コグバーン(^_^)v

ジョン・ウェインはこの「勇気ある追跡」の片目で酔いどれのがさつな保安官役で初めてアカデミー賞を受賞した。・・・のですが、言ってはなんですが、実はこの作品、悪くは無いけど最高傑作とうたわれるほどの映画じゃありません。デューク(ウェインの愛称)の映画には他にもっと傑作がいくらでもあるのですね。

でも、これ以前、いろいろなタイミングで彼はオスカーを逃し続けていたわけですね。当時の映画ファンの感想としては「えっ!?デュークはオスカー持ってないの!?」という感じなんではなかったのでしょうか。で、西部劇自体も時代と共にあまり流行らなくなってきて、ジャンルとして消滅しかけている。この辺で受賞しといてもらわないと今後チャンスがあるかどうかわかんないぞ・・・とみんな思ったんじゃないのかな?

つまり「勇気ある追跡」のオスカーは、それ以前のデュークの西部劇活動全てに対して送られたようなものなんだ、と、思います。

さて、この「勇気ある追跡」。ヒロインはキム・ダービー。この決して美人でも愛くるしくも無く、大人でも子供でも無い、ヒロインにしてはミョーに中途半端な感じの少女が、自分が家業の牧場を手伝ううちに身に着けた、持てる全ての知識と能力を振り絞って、酔いどれの保安官と、若造のテキサスレンジャーのケツを叩き、幾多の困難にも決してあきらめず、父親の仇を討つお話ですね。

デュークのファンにとって、この映画は、クライマックスの騎乗での4対1の対決で記憶に残る作品です。横列に馬を並べる相手に対し、手綱を口に咥え、右手にループレバー付きウィンチェスターM92、左手にコルトSAA。拍車をくれて、単身突撃する姿は語り草です。ループレバー付きウィンチェスターを片手でくるりと一回転させて装填(スピン・コックというらしい)できるデュークならではの変則二梃撃ちですね。

この、「駅馬車」以来のデュークスペシャル、ループレバー付きウィンチェスターM92。よく「ウェインが大男なので、ライフルが小さく見える!」といわれます。確かにデュークも大きいのですが、実はウィンチェスターも小さいのです。

ウィンチェスターは銃身長がいろいろあるとかで、同じM92でも、銃身長30インチの「マスケット」から、24インチの「ライフル」、馬上で使うために銃身を短かくした20インチの「カービン」、さらには15~14インチの「トラッパー」と様々な長さのモデルがあるのだそうです。

ネット情報によると、「駅馬車」の時のはカービンモデルにループレバーをつけたもので、「100万ドルの血斗」で使ったものはトラッパーモデルにループレバーをつけたものだそうです。では、「勇気ある追跡」はというとカービンを切り詰めたものを使ってるのだとか?「駅馬車」では馬に乗っていないので、体側に腕を突き出し身体と平行に横回転させてスピン・コックすれば、多少銃身が長くても肩にぶつかることは無いわけですが、馬上でスピンコックするにはどうしても縦回転気味にならざるを得ないような気がします。いくらデュークの腕が長くても、銃身短くないと肩にぶつかるでしょうね(^_^;

でもDVDで確認したところ、駅馬車のときと銃身の長さ変わってないように見えるんですけど・・・どうなんだろ?

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2006年7月15日 (土)

近衛十四郎の柳生十兵衛

Jyuubee5 えーとですね。Googleの「イメージ」で「近衛十四郎」を探すと、・・・なんと、このブログの以前アップしたイラストがトップに来るのです!\(◎o◎)/!

これは実に恥ずかしいというか、恐れ多いというか、・・・しかもそのイラストが、今見ると「似てねーっ!!(>_<)」

と、いうわけでリテイクして再アップしておきます。少なくとも似せる努力はしなくては・・・(^_^;

近衛十四郎の十兵衛は作品ごとに徐々に扮装が変化しますが、このイラストは、東映柳生武芸帳シリーズの最期となった「柳生武芸帳 片目の忍者」(近衛の十兵衛は、この後「十兵衛暗殺剣」がある)の衣装のつもり。一見忍び装束に見えますが、実は普通の黒い着物です。この作品での特徴は太い鎖の襷。

近衛十兵衛の眼帯はシリーズ当初はアイパッチでした。どうも、原作者の五味康祐氏のアドヴァイスで、「柳生鍔」に変わったらしい。今回のイラストはこの柳生鍔の形も出来るだけ再現してみました。

「柳生鍔」とは、「柳生拵」に使用される透かし鍔で、その意匠は新陰流の極意を表した形をしています。(例えば「車輪」は極意の「転(まろばし)」を表現しています。)柳生拵は、以前にもちょっと出てきましたが、左右逆目貫の鼓型の柄などを特徴とする、新陰流を代表する拵です。

実は、柳生拵は十兵衛の従兄弟の子(だったと思う)の柳生連也斎の「籠釣瓶」http://www.hi-net.zaq.ne.jp/osaru/arekore.htmという刀の刀装からなので、十兵衛が柳生鍔をもってるのはちと時代があわない感じがします、・・・が、まあ、そんなことはどうでもいいのです。十兵衛は柳生鍔の眼帯なのだ!

千葉十兵衛も村上十兵衛も近衛十兵衛を踏襲して刀の鍔を眼帯にしていますが、柳生鍔ではないです。(村上十兵衛の刀には柳生鍔がついてますが・・・でも目貫が逆じゃないので「柳生拵」とはいえないようです。)

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2006年6月25日 (日)

戦支度だ!

Yoroi_1 と、まあ、こんな感じなんではなかろうか・・・と

やっぱり化粧しないとね~\(^o^)/

化粧前はこちら(^_^)vYoroi1

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2006年6月17日 (土)

ディーん家の「三爺」

Sannjiji キャラクターシート中にちょこっと顔を出す、アースディースの家の古参の郎党三人組。

ディーは、イーヴァルにしごかれ、ハルヴァルドにあそばれ、オルムにさとされて育ったわけですね。

オルムは三人の中では最年長。見かけどおりの賢者ですね。無口で話す時もぼそぼそと話すイメージ。ディーの教育では、学問全般と、軍学の基礎を担当。

イーヴァルは一番若いのかな?大声で直接的な物言いをするイメージ。ディーの体育教師。武術全般、戦略等の教育を担当。

ハルヴァルドは、ひねくれ爺いですね。軽口と皮肉の聞いた舌頭で人を悩ませるイメージ。若い頃は結構女性を泣かした伊達男だったとか。剣術と礼儀作法等担当。

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2006年6月11日 (日)

アースディースとカッツバルゲル

Hukudhi_1  ディーがカウンタに戻りました。

えー、ディーの衣装にはずっと悩まされているわけだけど、まだまだこれだ!って納得はできてない。とりあえずはこんなイメージで・・・。

帽子はいい感じ?ジャケット丈はも少し短くてもいいかも。金糸の模様の形と配置もも少し考えないと・・・(^_^;

実際の中世の貴族は、旅に出ても、馬に荷物を載せたり従者に持たせたりしてるわけだから、手ぶらで問題ないんだけど、ディーの場合、この格好で、プレートアーマーを入れた袋と、毛布に巻いたフランベルジュと、今回買い足した弩を背負わなくっちゃいけないんだよね。・・・似合わない(ーー;)

Kattubarugeru で、今カウンタで話題としてふってるカッツバルゲルはこんな感じで。

ちょっとパースが狂ってるかも(^_^;

ディーが子供の頃、初めて持った自分の剣という設定。

今のメインウェポンは、旅立ちの餞別に父から貰ったフランベルジュ。しかし、フランベルジュは鞘が無い剣(ツバイハンダー系は全てそうらしい)なので、抜き身で担いで持ち運ぶか、毛布で巻いて荷物として持ち運ぶかしかなく、何処でも持ち込めるわけではない。よって、カッツバルゲルは携行可能なサイドアームとして重宝するわけ。

Hukudhi_4  ちょっとジャケットに修正いれてみる。うーむー前の方がよかったかな?(ーー;)

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2006年6月 4日 (日)

キング・コング プレミアムエディション感想

キング・コングのDVD、プレミアムエディションの発売を待って購入した。一応過去にオリジナル版、ディノ・ローレンス(だったか?)版と観ている(いや、ゴジラ対キングコング、キングコングの逆襲も見てるけど(^_^;)。今回劇場で観るつもりだったが、忙しくてつい見逃してしまっていた。

当然だが過去最高のキングコングだ!素晴らしい!ピーター・ジャクソン監督はロードオブザリングのときもそう思ったが、原作に敬意を払い決して原作を崩さずに、さらに極上の映画として完成させることのできる稀有な人だと思う。

オリジナルのキングコングはヒロインのアンと最後まで思いを通わせることなく、最期の一瞬まで「悪役」であり「取り除くべき脅威」として描かれる。そして飛行機との対決に破れエンパイア・ステート・ビルの頂上から転落する一瞬の表情(人形アニメのぎこちない動きでよくあんな効果をだせたものだと思う。もしかしたら意図して演出した表情なのではなく、偶然の産物なのかも?)で、観ている者をはっとさせるのだ。「彼はただ遮二無二彼女を求めていただけなのだ。悪いのは彼ではない。」と気付かせる。よって、続く幕切れの台詞「文明の(飛行機)の勝利だな。」「いや、飛行機が勝ったんじゃない。美女が野獣に勝ったのだ。」この台詞に非情さがにじみ出ることになり、よりコングの哀れさをさそう。

しかし、これは微妙なのだ。あの転落の瞬間の表情に気付かない観客にとっては、ただの怪獣退治の物語となってしまう。そして、気付いて、求めても得られず存在自体が脅威として排除される野獣ゆえの哀れみをコングに感じた観客にとってだけ、この映画は永遠になった。

ピーター・ジャクソンも幼児の時オリジナルのキングコングを観て、気付いて、感じて、滂沱の涙を流した一人だったとか。

よって、今度のコングは相思相愛である。1933年のマンハッタンで追い詰められたコングのもとへ、アンは自ら駆けつける。エンパイア・ステートの頂上では、ちょっと「王蟲とナウシカ」を連想させるようなシーンもある。眼下のマンハッタン(1933のマンハッタンはほとんどCGなんだ。凄い出来栄え!出演者達が逃げ惑う路地の裏の裏まで臨場感あふれる1933年の街角!)の向こうから昇る朝日を二人で見つめるシーンはとても美しい。転落しかかったアンを救い、安全な場所に置き、飛行機との闘いに敢然と立ち向かっていくコング。表情筋までモーションキャプチャーしたフルCG(演じるはアンディ・サーキス。ロードオブザリングのゴラム役からの連続登板。)であるがゆえに、悲しみも覚悟も愛惜も野生の怒りも、全てを無言で観客に語りかけてくる名演である。

問題は一箇所だけ。この展開だと最期の台詞が、なんとなく場違いな、印象の弱い、ピンぼけた台詞になってしまうような気がするのは私だけだろうか?

さて、ボーナスディスク。ロードオブザリング以来、ピーター・ジャクソンとWetaのファンとなってしまった私としては、この裏話ディスクとても楽しみだったのですが・・・今回オーディオコメンタリーが無いんだね、ちょっと残念。でも、おなじみの人達が和気藹々と仕事しているのをみると、会ったわけでもないのに「あ、あの人も元気なんだ、良かった。」と妙な一方的身内感覚が我ながら恥ずかしい(^_^;。

で、吃驚したのがピーター・ジャクソン監督。最初にボーナスディスクの紹介で登場した瞬間に目が点状態。「・・・あんた誰だ?」どう見ても同じ人とは思えない痩せようなのだこれが。眼鏡もかけてないし。

Pitajyakuson 具体的に描き表すとこんな感じ。ロードオブザリングのときとは全く別人。で、ボーナスディスクの何処にも監督の痩せようについて誰もコメントしてないんですね。

ただ、製作日記の出だしの監督の顔を連続して再生しているカットがあって、みてると見る見る痩せていく。大丈夫かピーター・ジャクソン!?頼むから身体だけは気をつけてくれー!あんたの映画がまだまだ観たいんだよ~!

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